Album Cover [MUSIC DECIPHER] Number_i – GOD-i (EP) 全曲読み解き

[MUSIC DECIPHER] Number_i – GOD-i (EP) 全曲読み解き

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[MUSIC DECIPHER] Number_i – GOD-i (EP) 全曲読み解き Lyrics

文: Bibi-K / Genius Japan | 2025年6月13日岸優太プロデュースによる表題曲「GOD-i」は、2025年1月27日に先行でデジタル配信リリースされ、2025年で2年目を迎えたNumber_iにとっては最初の楽曲であり、さらに表題曲としては初めて岸優太がプロデュースを手がけたこともあり、リリース発表時から大きな注目を集めた。

同年5月19日に発売されたNumber_iの 2nd Single「GOD_i」には、表題曲「GOD-i」と初のフルアルバムのデラックス盤である『No.I(Deluxe)』に収録された「HIRAKEGOMA」を除く4曲が新たな楽曲として収められている。

Number_iは楽曲によってプロデュース制を取り入れているグループである。

本人たちが「聴いてきた音楽が違う」と語っているように、2年目を迎えた彼ら、一人ひとりの「色」がこれまで以上に各々のプロデュース楽曲に色濃く反映されているように感じられ、今作を“ひとこと”で表現する言葉が見つからない。

だからこそ筆者が感じた彼らそれぞれの”色”を交えながら、一曲一曲を筆者なりに読み解いてみたいと思う。ナビゲーション1. GOD_i前述したように、「GOD_i」は岸優太が表題作としては初めて、プロデュースを手掛けた作品である。

岸本人が語っているように、この楽曲には,「自分を信じる強さの大切さ」、自分を信じること=「自分(i)の中に信じる神(GOD)がいる」ことが一貫したテーマとなっている。楽曲は安定した神宮寺の歌声と対照的な、不安定なインストゥルメンタルで幕を開ける

続くVerse1では彼らの「今」を描いているようフレーズにコーラスが加わり、不穏さがさらに増幅する

(なお「GOD_i」に重厚さと壮大さを演出しているクワイアは、実際に生で録音されたものだという)

│❞これは運命 狙いは定めた 20代も終盤

※運命/定め(=SADAME)が音で揃えられている

続くPre-Chorusでは彼らの10代を振り返るようなライン、

│❞お前から見る俺がいる世界はキラキラ

という一節から始まるが、このパートでは音がぶつ切りになったり一瞬の「空白」が生れたりと、サウンド面でも印象的な演出が施されている

(完全な余談だが、筆者は初めて視聴したとき、このパートで音が途切れたのは自分のデバイスの不調かと思い慌てたのも、今ではいい思い出だ)

│❞泣いたり喰らったりのボーイから

※喰らうには、好ましくないことを身に受け入れる。という意味もある

☆MVではこのChorus前までの映像に逆再生が使われている

また、登場する車のナンバープレートにNumber_iの語呂や結成日が込められているなど、デビュー以来一貫した作品へのこだわりを細部まで見て取れる

たどり着いたChorusの前半のパート

│❞I am my own God

│❞We are, we are 願う

では、あえて音に乗せた言葉の切り取りかたとして、

❞I am my own/ God We are, we are / 願う We are, we are

のように聴きとることもできる

この音の切り取りによって、「GOD we are」=「GOD i (we are)」という響きが浮かび上がり、まるでタイトルの意味、「GOD_i (we are)」が繰り返されているようにも感じられる

Chorusの後半のパート

│❞Chu ma baby

│❞信じる i for believers

にもいくつかの解釈ができる

例えば

❞Chu ma baby というフレーズは「大切なあなたへキスを」という愛情表現と同時に、

“baby(=自分が背負うもの/責任)”にキスをする=「自分を信じ愛する」とも読み取れる

さらに音だけで聴くと”Je m'appelle(仏)”(=私の名前は)にも似た響きを持ち、続くライン、「❞信じる i 」は"名前を告げる位置”にぴたりと置かれている

偶然か意図的なのかはわからないが、共作詞者・pecoriにとって「新境地感のある」リリックであり、岸の言葉通り、「耳も目も忙しい」楽曲であることは間違いない。

「飽きさせないように」という岸の意図のもと、展開がめまぐるしく変化していく中で、中継ぎとしてメロディアスな印象を担っているのが、Bridge部分だ

│❞ねぇ未来の俺にお願いごと

という一節で始まり、

│❞こじ開けようぜ

│❞俺に祈るだけ

で締めくくられるこのパートでは、Chorusに登場する印象的なフレーズ、「お願い」と響き合うように、「祈る」という言葉が現れる

「願う (wish)」とは、自分の心の中などで自分の理想を思い描くこと

「祈る (pray)」は神や仏に対して自分の理想の実現を託す行為だーー

ーーしかし「祈る」とは本来「意宣る(いのる)」と書かれ、「自分の意志や願いを宣言すること」なのだ

(さらに、「❞お願いごと」というフレーズは、”ごと=Goto”が”GOD”のようにも聴こえ、「お願い、GOD」という音と言葉の二重性をここでも感じられる)

Verse 1 では「空に祈った星より」と過去形で描かれていた「祈り」が、Bridge では「こじ開けようぜ 俺に祈るだけ」と未来に向けた意思表示へと変化する

そこには、自分自身へ誓うという形で「I am my own GOD」

ーー「自分を信じる」こと

ーー「GOD_i」がより力強く表現されているのではないか

加えてMVでもそういったメッセージ性を感じ取ることができる

冒頭の逆再生シーンには、彼らのボイスメッセージが忍ばされおり、そのメッセージは「GOD_i」へと繋がるものだ

映像内に登場するタイトルロゴは計2種類/3回現れるが、最後に現れるロゴだけが、iのドットが「*」から「♡」へと変化している

それはまるでiについた「✕」が取り払われ、「i ♡」=「自分を信じる」ことへと昇華されたようにも受け取れる

自分を信じきれなかった過去を振り返るようなVerse3では

│❞見返したいだけ

というラインを、MVで神宮寺が苦悶ともとれる表情で歌う

しかし、パフォーマンスでは笑顔でピースサインを送る3人を見ることができる

それこそが2025年現時点での、彼らなりの「GOD_i」に対する答えの一つなのではないだろうか2. ロミジュリ神宮寺勇太がプロデュースを手掛けた楽曲「ロミジュリ」。

このタイトルは、W・シェークスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」(以下、「R&J」)を略した造語である。

神宮寺自身の好みが反映されたメロウなリズムは、あえてリズムを揃えないことで生まれる”ズレ”によって、メロウな質感の中にスモーキーなニュアンスを忍ばせたサウンドを生み出している。

本人曰く「ちょっと甘酸っぱさもある」仕上がりの楽曲だ。

そんな曲作りにおいて、ドラムレコーディング演奏を担当した大井一彌が「ラップのリズムだけを頼りに好き勝手ぶちかましたら、そのテイクがほとんど採用されちゃいました」と語ったように、生音で作られたサウンドには無邪気な遊び心も随所に取り入れられているのだろう。不安定なリズムが浮遊するような音と絡み合うIntroから始まり、続くVеrse1では平野のアイコンである低音とはまた違った、少し憂いを帯びたような声色で楽曲の物語が始まる

神宮寺が「Hip-Hopとはまた違う2人の声がすごく好きで、そういうのを表現したかった」と語っていたように、「ロミジュリ」では聴きなじみのあるトーンとは一味違う、どこか切なさを帯びた3人の歌声が、不揃いに絡み合う音のレイヤーとともに展開していく

│❞手を伸ばしてくれた Romeo

│❞くらいの価値ベリー億

│❞今はとうに Oblivion

ここで突然だが、筆者からあえて問いかけたい

「R&J」とは、どういった物語だったろうか?

「何をいまさら」と思われるかもしれない

しかし今一度その物語を思い出し、今作の歌詞と音と照らし合わせてみてほしい

ーー「R&J」とはーー

「愛し合った若い2人が、すれ違いによって悲劇的な最期を迎える」ーーそんな物語だ

しかしこのVersеから感じ取れるのは、控えめなサウンドに表れているように、どこか一方的な感情と、その先に見え隠れする“終わりの気配”ではないだろうか

たとえば

│❞手を伸ばしてくれた Romeo

│❞くらいの価値ベリー億

│❞今はとうに Oblivion

※「ベリー」はVery・Berry(=甘酸っぱさの比喩)

視覚的な遊びでは、ベリ/ー億 だろう(※ベリはVeryの日本語スラング)

│❞エビ反りで Smile

※(ⅴ∧ⅴ)エビ反りで→(∧ⅴ∧)Smile=「本心を隠している」といった比喩だろう

「R&J」でロミオが手を伸ばした先にいるのはジュリエットだ

つまり楽曲の冒頭は、女性視点で語られていると読み取れる

しかしこのVerseでは

│❞今はとうに Oblivion

と語られているように、「R&J」で描かれたような「恋する女性」の姿は見えてこない

続くライン

│❞俺のこと

この主語から、視点が男性へと転換されていることがわかる

Introと同様に、浮遊感を帯びた不安定なリズムにのったフレーズは、まるで自問自答するような早口で歌われる

│❞俺のこと好きなのかも

│❞かもしれないかもしれない

│❞あなたがたの名も知らない

ここで男性側から感じ取れるのは、恋人が自分に気持ちがあることへの“自信の無さ”だ

「あなたがた」という距離を感じさせる呼び方が示すのは、かつては紹介されていた彼女の交友関係ーーが“今はもう自分には共有されていない”、という現実

│❞楽しめないんじゃああもう知らない

│❞夜には握ってる58

│❞やっぱ好きかもとかとか

※58はボーカルマイク、SHURE58

※58(gOpA)と、とか(tOkA)で韻が踏まれている

「ああもう知らない」と歌われるトーンからは、諦めや投げりな感情を感じ取れる

ーーそれでも夜になれば「やっぱ好きかも」と揺れ動く彼女への気持ち

その交差する葛藤と矛盾からは、隠し切れない彼女への未練が垣間見れる

ーー「R&J」の悲劇の根底にあるものーーそれは「すれ違い」だ

つまりこの楽曲は、「男女それぞれの視点で描かれる、終焉とすれ違い」をテーマにした一曲ではないだろうか

Verse 2 の冒頭では、鼓動のように鳴るドラムのリズムにあわせて、彼女が彼(俺)とは違う男性と一夜を共にしたと思わせる情景が描かれる

そして続くラインでは、その鼓動のようだったドラムの音が止み、視点は再び男性へと転じる

│❞なんとなく決められた道はうぜえから

│❞はみ出ちゃって食い込んだ夢

ーーーぼんやりと見ていた彼女との未来は、今や消えかかってしまっている

その事実を「うぜえ」と強がりで平気なふりをしても、”食い込んだ夢”とまで表現してしまうほどに、まだ未練が残っていることが伺える

そうしてまた、彼の自問が始まる

│❞I’m a bird?

│❞I’m a nerd?

│❞You are Julietってなレリゴ

※レリゴ=Let it goのカタカナ表記

俺は鳥?

それともただのオタク?

お前はJulietってか…もうどうでもいい

ここで再び筆者から問いかけたい

「R&J」での一番有名なセリフのシーンといえば、何を思い浮かべるだろう?

おそらく多くの人が思い浮かべるシーンはーー

ーーバルコニーでのジュリエットの愛の独白のシーンではないだろうか

「おお、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」

ジュリエットの愛の独白の後、2人は互いの愛を伝え合う

「いっそきみの小鳥になりたい 」

「わたしもあなたを小鳥にしたい 。でも抱きしめて殺してしまいそう」

そして”鳥”は夜明けとともにこの若き恋人同士の秘密の逢瀬に、終わりを告げる存在としても登場する

ーーつまり“鳥”とはこの楽曲においては、「される側」であり「別れの象徴」なのかもしれない

そしてJulietはロミオにとっての「恋する相手」であるが、

自ら「恋に落ちた女性」でもある

│❞I’m a bird?

│❞I’m a nerd?

│❞You are Julietってなレリゴ

ーー俺は別れを告げる”鳥”?

それとも何も気づかないままのフリをする”オタク”?

お前は恋に落ちたJulietってか。…もう、どうでもいい

│❞ハートを奪ってく

│❞誰もいないベンチ

※ベンチは、出番を終えた人、というニュアンスの比喩でも使われる

どこか投げやりに歌われるフレーズ

ーーー恋の姿は、もうそこにはないのかもしれない

続くPre-Chorus2でも、"俺”の微かな強がりが感じられる

│❞カーステレオはまず俺の曲

ーーー俺”たち”ではなく、”俺の”曲

│❞まじ最高

│❞荒れたオフロードなら人目も気にせず

│❞Journey, journey w/my, your love

ーーー進む道の決まっている「歩道」と違い、「オフロード」は行き先の見えない不確かな道

❞荒れ「た」 という言葉からは、2人の関係が“俺”にとっては予想もしなかった方向へ転がっていったことへの、皮肉や強がりがにじみ出ている

❞人目も気にせず は一見すると「自由」や「覚悟」のようにも聞こえる

しかし、その裏には、❞まじ最高 と共に、「なんでもない、大丈夫」と自分に言い聞かせるような虚勢が見え隠れする

さらに、「❞love」にかかる相反する所有格は、文法的に成立しそうで、成立しない

それはまるで互いの関係ーーJourneyが、

ーーー表面的にだけつながっている関係であり、すでに壊れてしまっている関係ーーーを映し出しているかのように

続くChorusは、各セクションごとに3人のパートがすべて入れ替わる

ホーンセクションの揺らぎある音色と不揃いなリズムが重なり合い、不確かでちぐはぐな空気が立ち上がる

それはまるで嚙み合わない、「すれ違い」のように

│❞透けた笑顔の裏

│❞Jewellery, murder world

ー「R&J」で舞踏会へとロミオが向かったのは、本来、別の恋した女性に会うためだった

“恋”とは決して「きれい」なだけではない。矛盾や複雑さを孕んだ世界でもある

ーーーだからこそ、見えてしまっ「た」、本音の影

宝石と謀殺や困難で彩られた世界とは、一見幸せそうに見えながらも、その裏には、違和感や欺瞞があることを感じ得ない

│❞等身大を望んだそのモード

│❞いつまでも続くなら

│❞どこまでも行こう

ーーー「ありのままの心を望んだ」からこそ、それがいつまでも続くのなら、どこまでも行こう

そして流れるOutro

約40秒にわたって静かに流れるジャジーなサウンドのインストゥルメンタルは、まるで物語の幕がゆっくりと下りていくような余韻を残す

去っていく音の足音だけが静かに響き渡るようなそのサウンドの背中を見送りながら、余韻の正体が何なのかーー

ーーその正体は、私たち聴き手に委ねられているのだろう3. i_DOGタイトルの「i-DOG」とは「GOD-i」の逆さ読み。

平野のアイディアにより、自分たちの曲をサンプリングするアーティストがあまりいないことや、「GOD-i」ではMVで逆再生が使われていたこと、楽曲自体が時間にフォーカスしていたことなどから、『「GOD-i」の曲だけを逆再生して使おう』とのコンセプトで制作された。

IntroとOutroには共作詞者・Pecoriが明かした仕掛けが施されており、平野が「”昔に戻ったらこうなのにな”といった意味が込められている」と語った通り、明言はされずとも「きっとあの日のあの事では」と過去を感じさせるフレーズが散りばめられている。

サウンド・リリックともに複雑に構成されており、平野の言う通り、捉え方によって聴き手の感じ方が変わる楽曲だ。

自身の10代を平野は、

「色々な大人の意見を無視していた10代の反抗期があるからこそ、それが今に活きていて他に惑わされない」

と振り返った。

そんな平野による、”自分を信じる強さの大切さ”の再解釈は「i_DOG からGOD_iへ」なのかもしれない。

※なお、あえてこの楽曲の具体的な読み解きについては、触れないこととさせていただく4. Frisco「フリスコ」とはサンフランシスコ(=フリスコ)でうまれた、バイクのカスタムスタイル。

プロデュースを担当した神宮寺が愛用するオートバイクメーカー、H-Dにおいても定番のスタイルでもあり、サンフランシスコの渋滞を颯爽と駆け抜けるため、余分な装飾を省いた、”主張しすぎない美しさ”が特徴。

そんなタイトルが示す通り、楽曲全体にはまるでフリスコスタイルのバイクが走り抜けるかのような、シンプルながら疾走感のあるサウンドが広がり、

「みんなの意見とか邪魔する人も気にしないよ。バイバイみたいな、どストレートなラップソング」

と神宮寺が語るように、彼らの思いがストレートに乗せられた一曲だ。バイクのエンジン音とカラスのような鳴き声で始まるIntroは、不吉な気配を漂わせる

だが、続くストリングスの旋律が何かの始動を告げるようにスリリングに響き渡り、そのままVerse1へとなだれ込む

まるでアニメ「ルパン三世」の「ルパン三世のテーマ」を思わせるような高揚感を生み出しながら、楽曲は一気に走り出す

疾走感や強気な勢いをまといながら、リリックが楽曲の中を駆け抜ける

│❞どう、切り抜けるか俺次第で

※「切り抜ける」 とは、「困難から逃れ出る、敵の囲みを切り破って逃れる」と、

霧の街サンフランシスコにかけた、「霧(を)ぬける」だろう

│❞行き先は、ラップ、フロウ次第で

│❞Mid Control & Gain

※音楽的には、

・Mid(MIDI)は電子楽器の制御信号として使われる入力規格

・Gainは入力信号の調整をするコントロール

※バイク用語としては

・mid controlは、ステップ(足を置く場所)の位置を調節するカスタムスタイル

・Gainはエンジンパワーの向上などを意味するモータースポーツ用語

勢いそのままにVerse2を走り抜ける

│❞自分の足とマイクロフォン

│❞バースで格の違い見てみろ

ーーーラップ、フロウ=Out put、Mid Control & Gain=In putであり、

自分たちが「何を受け取りどう表現するか、楽曲で判断しろ」といったことだろう

ストリングスがさらにエンジンを吹かすように鳴り響き、続くPre-Chorus1では、まるでアクセルを全開にしたかのように、リリックが勢いよく加速していく

│❞俺らのラップマジ天地揺るがす

│❞けど、まだまだ勘違いしてねぇアンチテーゼ

「まだまだ勘違いしてねぇ」というアンチテーゼ(反論)を持ちながら、ハンドルを握る手を緩めることなく

│❞Ratsの様にすり抜けるNumber_i

Number_iはRatsさながらのすばやさで、しなやかに音の波をすり抜けていく

│❞やつのけつは振りまくるアンダーライン

ーーーここでの「けつ」とはHipと同時に、「ケツを持つ=責任を取る」という意味合いでも使われている

「❞ケツを振りまくる」とは責任をなすりつけたり逃げ回ったりする人々の姿への皮肉であり、逃げ回って蛇行する姿を、「アンダーライン/下線」と象徴し、強調しているのだろう

※助詞の「は」には、対比や強調の意味や効果がある

そんな相手へ、彼らは痛烈な一言を投げかける

│❞乗る音が見つかるか?あんたに

Chorusでもそのスピードは緩まない

│❞Frisco

│❞イキがる俺らの _i

※「イキがる」とは”虚勢を張る”という意味もあるが、本来「粋」は”洒落た立ち振る舞い”を指す言葉

ーーーその”粋”が過剰に表れた状態を「粋がる」だとすれば、Number_iにとっての「イキがる」とは、HipHopのボースティング文化そのものだろう

それこそが彼らにとっての「❞_i」dentityーー「自分らしさの体現」、その一つなのではないだろうか

│❞Frisco

│❞Like a ミネ フジコ

※ミネ フジコ(峰不二子)は「ルパン三世」に登場する魅力的なキャラクターだ

H-Dを華麗に乗りこなし、自由気ままで自分の欲望には誰よりも忠実な女性で、時に狡猾ながら、人間味を忘れない

ーーー神宮寺が語る「バイクといえば(自分の中では)峰不二子」の言葉通り、まさにFriscoスタイルそのものだ

そんな彼女のように自由に走り続けた楽曲は、どこか不穏さと違和感を抱かせる音が響くカーブ地点ーーBridgeへとたどり着く

│❞プリン、プリン、プリン

│❞だけで負かす

│❞プリン、プリン、プリン

│❞俺にフォーカス

※「プリン」は、ミネ フジコの肉感や色気と、デザートのプリンのような柔らかく可愛らしい見た目、脆く壊れやすいといった意味を含めたオノマトペだろう

ーーー「表層的な振る舞いや、見た目の魅力だけの人たち」が「俺にフォーカス」してくる

│❞当ててもちゅーちゅーちゅーちゅーすり抜け

│❞Number_i

※「ちゅー」はRats(ネズミ)の鳴き声

ーーー自分たちを利用しようと近づく人たちへの、警告・宣誓と取れるラインは、冒頭の神宮寺の言葉、「邪魔する人も気にしないよ。バイバイ」が思い起こされる

警告音のように響く「❞Frisco!」の声を抜け、終着地点目前のPre-Chorus2へと突入する

│❞お前の脳内に響くサウンド

│❞One of them

ーーー数ある心揺さぶる音楽の中の一つ

│❞でも、コンフィデンス

│❞I don’t care

ーーー他と比べてどうかなんて、「どうでもいい」

ー冒頭の神宮寺の言葉がここでも重なる

│❞この、テクニックで

│❞ネオすら追い越す俺らがトリニティ

※ネオとトリニティは映画「マトリックス」のキャラクターで、トリニティがバイクを乗りこなす姿は、映画の中でも印象的なシーンだ

ーーー❞ネオ(それ以前のものがあり、それとの比較で新しい状態)さえ追い越す

ー「トリニティ」とは、三位一体=異なる個性が集いながら、一体となって機能する意味を持つ

まさにNumber_iそのものではないだろうか

「自信」とは、本来比較や優劣の中からうまれやすいものだからこそ、他と比べることなく、「Number_iだからこそ生みだせる、唯一無二の形」で突き進む

終着地点を知らせるOutroの声が、ひときわ大きく響き渡った

ゆっくりとエンジンを切り、走り抜けた楽曲の音が消えていく

次の走り抜ける道(楽曲)でも、間違いなく彼らは自分たちのスタイルで走り抜けるだろう。

そのスタイルは、「Number_iスタイル」としてより確立されていくに違いない。5. Psycho岸優太がプロデュースを手掛けた楽曲で、Number_iのみで作曲された、Number_iとしては初となるクラブミュージック。

4つ打ちのループがクセになる一曲で、

岸は「自然と首振っちゃうみたいな、ノっちゃうみたいな、キャッチーで中毒性ある曲」と語り、

共作詞を務めた岡嶋かな多も「脳内解放しまくって、沢山聴いて頂けたら嬉しいです!」とコメントしている。Introは4つ打ちのリズムと神宮寺のストレートな歌声によって、楽曲というワンダーランドの扉が開かれる

日本語と英語が織り交ざったフレーズは浮遊感を漂わせながら、聴き手をその世界へと誘いこむ

Pre-Chorusでは、「drippin’ …right?」とエフェクトのかかった平野の声が響き、よりダークなChorusの世界へと引きずり込んでいく

そうして導かれたChorusは、まるで麻薬の効果に当てられたような、スモーキーな低音が漂う、抜け出せない沼のような空間だ

Verse2では印象的なフレーズを、平野が抗えない快楽に身を委ねるように紡ぐ

│❞Same old talk? ほっといて No need advice

│❞常識で縛って狂う奴ら Get tired (Don’t bother me, I’m in the zone)

│❞駄々こねるよりも 此処では Openが Chill

│❞道徳教科書 才能で kill

ーーーまたその話?アドバイスなんて必要ない

イメージや「べき」に縛って狂う奴らなんて、勝手に疲れてろ(ここで酔いしれてるから、ほっといてくれ)

駄々をこねるよりも、此処では素直でいることが一番クール

押し付けられる世間の正しさなんて、才能でぶった切れーーー

続くVerse 3では岸と神宮寺がさらなる快楽へと誘いこみ、抜け出せない、深淵の底ようなBridgeへと沈めていく

そのBridgeで待ち構えているのは、この世界を楽しめない者へ突きつけるような、皮肉のようなラインだ

岸の冷めたような声音が突きつける

│❞冷めた奴ら Do you have friends?

ーそして、こう続く

│❞We run the party

│❞Let’s go, let’s go

ーーーこのパーティーを仕切るのは俺らだ

さぁ、狂騒を始めようーーー

ーーそうしてまた、抜け出せない、Psychoな世界のChorusの沼へと、聴き手を深く引きずり込んでいく「Psycho」という言葉は、ギリシャ語の「psyche(プシュケー)」に由来し、本来は<魂>や<蝶>を意味する。

蝶は完全変態を経て羽ばたくことから、古代より「変容」の象徴とされてきた。

│❞お前が信じてる迷信

│❞等身大の俺じゃない

│❞音楽に魅せられたのが理由 (Numbersより)

こう歌う岸にとって、「Psycho」とは、サイコ”Psycho=Saikō/最高”な世界を指すのかもしれない。6. HIRAKEGOMA「HIRAKEGOMA」とは、「千夜一夜物語(アラビアンナイト)」という物語集に収められたともいわれる、「アリババと40人の盗賊」に登場する、盗賊が宝を隠した洞窟の扉を開ける時に唱える魔法の言葉。

HipHop調のビートにどこか異国情緒を感じさせるリズムが融合し、タイトルの意味通り、「扉よ開け」と語りかけるように、新たな扉が次々と開かれていくような感覚へと誘われる楽曲となっている。Chorusでは異国情緒を感じるリズムに乗せて、タイトルの意味を想起させるラインが色濃く連なる

│❞HIRAKEGOMA

│❞千の夜を超えて

│❞Next door

│❞これはちょー大事

ーーー「千夜一夜物語」とは千と一夜を通して語られた物語だとされいる

その「夜」を超えた先にある「次の扉(=Next door)」が「これがちょー大事」

│❞超える Border

│❞君の目に映った水平線の上に足してく i (i i)

ーーー「国境(=Border)を超えて、Number_iの楽曲(=i " i i")を世界へ届けていく」ーーとも読み取れるラインだが、

水平線(=horaizon)は、英語で「境界」の意味も持つ

「君の目に映った」その境界を越えて、「上に足してくi」というフレーズには、Number_iが常々語る、「予想を裏切る」ことへの姿勢が重ねられているのではないだろうか

ーーまた視覚的な遊びとしても、水平線を示す「-」という線に「i」を加えることで、「+」に変わるーー

「予想や想像を超える」

「自分たちを知らない人たちに、自分たちの楽曲を届ける」

ことを表現しているようにも感じられる

しかし一転して、次のVerse1では、低音を効かせたベースとともに、彼らが抱える「痛み」とも受け取れるリリックが並ぶ

│❞あのころの傷が疼いた My season

│❞この先が見どころの My life

│❞間違いは誰でもある Bro

│❞転げ回って出した Answer is near

│❞あそこの lady も見てる

│❞そっちの野郎も見てる

その痛みの中で自分や周囲に問いかけたのであろう疑問

│❞What is favourite idol?

ーー「お気に入りのアイドルって、なんだ?」

ーー「idol」の語源は、「偶像、崇拝」だ

痛みと問いかけのその先で、まるで照れ隠しのようにも聞こえる咳払いを挟み、こう言葉を紡ぐ

│❞何度だって飛べる

│❞見ててくれよ Babe

ーーーこの宣誓のようなフレーズには、これまでの彼らの楽曲(GOAT/iLY/INZM)に刻まれてきた言葉たちが幾重にも重なっていく

☆またこのVerse1には、いくつかの対比言葉が織り込まれており、それらはまるで

│❞君の目に映った水平線の上に足してく i

の一節と同じように、彼らが目指しているものが単なる「海外進出」ではなく、「国境を超えてマイナスをプラスにする」

ーー「自分たちの魅力や音楽をより多くの人へ届けたい」という、彼ら自身が語る想いそのもののように感じられる

│❞Pass the micー「俺にマイクを渡せ」

岸が叫ぶように歌うPost-Chorusから続くVerse2では、彼らが初めて立った海外フェスの舞台を想起させるようなリリックが連なる

│❞魔法の絨毯に乗ってこう

※魔法の絨毯は「千夜一夜物語(アラビアンナイト)」でも出てくる空飛ぶ絨毯

ーーー音楽という乗り物を指しているのかもしれない

│❞まさにバベルの塔

※バベルの塔は旧約聖書に出てくる建造物

異なる言語がうまれ、人々が世界に散らばるきっかけとなった象徴的存在

ーー言葉が通じない、国が違うという比喩ではないか

│❞神様の言うとおり

”汝の敵を愛せよ”、“汝、隣人を愛せよ”

といった言葉が浮かぶこのラインは、まるで「BON」のフレーズ、「❞愛でもってみんなまとめちゃえ」のようだ

│❞興味ないやつも虜に

│❞しゃあなしだぜ

※「しゃあなしは」は「仕方がない」の方言で、冗談交じりに嫌がるフリをするときに添える言葉でもある

ーーー自分たちに関心がなかった相手をも魅了する

「しゃあなし」という言葉からは、そうすることへの自信と、少しの“照れ”が含まれているのではないか

│❞共有しよう

ーーー音楽という絨毯に乗って、「国も言葉も関係ない場所」へと降り立ち、「自分たちのやりかたで多くの人を惹きつける」

誰かと戦うのではなく、まるでフェスのように

ーー「音楽が好き」という一点で人々と繋がる世界を「共有しよう」と呼びかける

│❞あんたの息子も夢中の宇宙の無重力

※「宇宙の無重力」は何かに「夢中」になることの状態比喩だろう

│❞秘密の呪文

│❞What you want?

│❞愛中毒

ーーー秘密の呪文である「What you want?」への答え、”i Want”は、「自分の好きなことをやる=愛/i、中毒」

=「自分が愛するものに夢中になる」ことではないか

│❞歩けないくらい吹いた風迷走

※「迷走」は定まった道を外れ、結論も見えずに彷徨うような状態

│❞俺の声は鍵走る Pencil

※「鍵」は成功へのヒントや突破口、「声」は”楽曲”を指すだろう

ーーー身動きの取れない迷走の中でも、自分の「声(=楽曲)」が道を開く鍵となる

それは「走るPencil」ー音楽への「愛(i)中毒」

止まらない音楽への思いがあるからこそだろう

☆「夢中」「宇宙」「無重力」「中毒」「What you want?」は“Chuu”の響きで、

「走るPencil」のラインは、”Shiru”の音で韻が踏まれている

続くPre-Chorus2では、転調したメロディアスなリズムに乗せて、「夢」をキーにしたフレーズが歌われる

│❞夢の叶え方は Star Light

│❞億通りの Climbing

※Star Lightは、”星明かり”を意味すると同時に、単語にスペースがあることから

Star=”自ら光る”、Light=“光/火をつける” とも読み取れる

ーーー夢を叶えるには「自分で動きだすこと」であり、夢の叶え方は「一つではなく、人の数だけある」、ということだろう

│❞真上には同じ扉が

│❞見えてるはずさお前も

ーーー目指す夢やその道のりが違っても、誰もが”自分の夢”という「同じ扉」を持っている

しかし次のラインからは、微かにエフェクトのかかったようなくぐもった声に乗せて、諦めのようにも聞こえる言葉が続く

│❞重ね合った声じゃ

│❞聞こえそうもない

ーーー本来「声」は重なり合うことで力を増すはずだ

しかしここで「声」が「聞こえそうもない」と歌われるのは、例えばーー

「鶴の一言」のように、一方的な憶測や決めつけによってかき消されてしまう声や想い

自分の正しさだけを主張し、異なる声に耳を傾けようとしない姿勢

そんな個々のすれ違いがうむ、不協和音への比喩ではないか

│❞無菌なスピーカーに

ーーー「無菌」は、ここでは「重ね合った声」への比喩

「スピーカー」は、話者と音を届ける機器の両方をもち、「自分と違う考えを拒絶する”無菌な場”」のことだろう

バベルの塔の崩壊も、「言語が一つのであること」が崩壊の要因の一つとされているように

│❞飛ばす Spit

※Spitは唾を吐く以外に、ラップをするという意味がある

│❞Please accept me

ーーー「私を受け入れて」とは、“先入観なく、一度フラットな視点でちゃんと見て、聴いてみてほしい”という思いではないか

真っすぐな線も、最初から斜めに見れば歪んで見えてしまう

だからこそ「対立ではなく対話がしたい」

そんな、彼らの意思と姿勢が込められているように思える2024年12月初旬にサプライズリリースされた「HIRAKEGOMA」は、フルアルバム『No.I (Deluxe)』の一曲目に収録されている。

リリース当初、筆者はこの曲を「Number_iの1年目のエピローグであり、2年目に向けたプロローグを象徴する」ーー活動という”外側”に向けられた楽曲として捉えていた。

しかし今回「GOD_i (EP)」のラストとしてこの曲を耳にしたことで、その印象は大きく塗り替えられた。

「GOD_i」から受け継がれていた負の感情が、この「HIRAKEGOMA」によって静かに洗い流され、まるで”内側”から新たな扉が開かれていくような感覚。

これは自分の内面に向けた曲でもあるのだーー

そう感じる、新しい一面を見せられた思いがした。

(個人的には、EPでの曲順の流れ、そして円盤では恋の歌であろう「ロミジュリ」のみが共通収録されている一方、他の楽曲が3形態それぞれに収められている点も興味深い)

│❞HIRAKEGOMA

│❞千の夜を超えて

│❞Next door

「HIRAKEGOMA」はタイトル通り、私たち一人ひとりが抱える多面的な扉を、そっと開いていくための「魔法の呪文」なのかもしれない。ー終わりにー「GOD_i」(EP)から感じた、それぞれの「色」ある音楽番組で、岸は平野のことを「アイディアをめちゃくちゃ出す。0を1にするのがうまい」と語り、

神宮寺については「(平野が蒔いた)アイディアの種から、どんどん花を咲かせて色をつけてくれる」と話していた。

その答えと今作「GOD_i (EP)」を通して、筆者が感じたNumber_iの楽曲とそれぞれの「色」とはこうだ。

平野紫耀という人は、「点」の人だ。

そのときどき、瞬間瞬間をとらえる力が強く、喜びも哀しみも同じように深く感じ取ることができる。

言い換えれば、「受け取る」のではなく、「受け入れる」人ーー

ーー喜びも痛みも自分の中に深く浸透させ、良くも悪くも”消えないシミ”のように抱えている。

だからこそ、その強烈な「点」を楽曲にも落とし込むことができる。

それが平野の「色」ではないだろうか。

対して、神宮寺勇太は「線」の人だと感じる。

どんな出来事も、きちんと「過程」を経て昇華させる力がある。

だからこそ、彼が手掛ける楽曲には、目には見えなくともその「過程」が垣間見え、それが楽曲の心地よい軽さへと繋がる。

そうした線こそが、神宮寺の「色」として表れているように思う。

そして、岸優太は「面」の人。

(ここでいう「面」とは、点も線も”内包する”ような存在と捉えてほしい)

「<GOD_i>のコンセプトがなぜ<GOD>だったのか?」

と問われたとき、岸の答えは「直感」だった。

多くを語ることのない岸であるが、”何が重要で、何が本当に大事か”という核心をまっすぐに取り出すことができる。

だからこそ、彼が手掛ける楽曲は語りすぎない曖昧さを残しながらも、深く心に刺さる。

ーーそれは点が線になっていくように、心や音の奥にある本質に触れるからこそ、聴く人の心を静かに捉えて離さない。

そんな「色」を、岸は持っているように思う。

これらの「色」は誰かが痛みを感じないとか、大切なことがわかっていないとか、そんな両極や、優劣、勝ち負けの話ではない。

赤と青を混ぜると、紫色になる。

点がつながって線となり、線が重なって面となる。

その面は点も線も内包する。

どの存在もあるからこそ、世界は成り立つ。

それぞれが、それぞれのままで在ることに意味があり、価値があるーーただ、それだけのことだ。

平野のように花の種を蒔き

神宮寺のように手間暇をかけて育てても

花を咲かせるには岸のような太陽の光が必要だ。

それぞれが持つ色が違うからこそ、花は咲く。

そしてーーときに降る雨があるからこそ、花は美しく咲く。

優しい雨を降らせるか、激しい雨を降らせるかーーそれは、私たち受け手の在り方ひとつで変わっていく。

だからこそ、まっすぐな心で、Number_iの楽曲が持つ複雑さや余白を、自由に楽しめたらと願う。

その複雑さや余白の中には、彼らのあり方が見え隠れする。

ーーそれこそが、彼らの楽曲が纏う「色」なのだろう。

一見すると、すれ違いや誤解の火種にもなりうるその「色」は、ショート動画に代表されるような「わかりやすさ」が求められ、正解らしきものが瞬時に手に入ってしまう今の時代に逆行しているようにも映る。

だが、だからこそーー。

日本の「余白の美」のように、その余白に、私たちは自由な解釈を重ね、自分だけの「色」を加えることができる。

そうして一人ひとりが重ねた「色」は、さらに多くの人に届き、さまざまな想いや情景と溶け合いながら、よりいっそう鮮やかに染まっていく。

消費されることなく、数字に囚われることなく、長く愛され続けるその「色」。

それは、音楽が示す在り方、そのものではないだろうか。

終わりの挨拶に代えてーー

筆者からみなさまへ、最後の問いかけをして、終わろうと思います。

様々な色を感じながら、“ひとことでは表せない”と思いつつ、筆者なりに綴ってきたこの「GOD_i (EP)」。

それを、あえて“ひとこと”という「色」で表すとしたらーー

ーー「あなたにとって、それはどんな”ひとこと”になりますか?」

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